ぐるぐるぐる。

ねむくなったら、つむぎにきます。

音楽の、好きなところ

 

音楽が好きです。

中学1年生の誕生日にiPod nanoを、中学生3年生の誕生日には(今は亡き)iPod classicを買ってもらって、

まだケータイを買ってもらえなかった僕は、どこに行くにもイヤホンをして一生音楽を聴いていました。

 

さっきふと、

どうして音楽が好きなんだろう?って問い(この問い自体はいつ生まれたのかわからないけれど)の答えが浮かんできたので、それをここに書いておこうと思います。

 

音楽の良さは、その「余地」にあるんだと思うんです。

 

 

動画は、映像があって、音があって、目と耳から情報が入ってきます。そうすると僕らが享受する情報量はとても多くなって、そこからは沢山のものを得ることが出来ます。

 

物語であれば、登場人物の目線、表情の機微、背景なども大切な情報であって、それら全部を一つの物語として受け取ったときには、主人公は当然、この人だ。って人がいて、

他の登場人物も姿が見えるので、それぞれに人格があって個性があって、存在感があります。

全員に決まった形があります。

 

でも音楽(この場合'歌'になるのかな)の場合は、それが物語調のものだとしても、登場人物に顔はないし、決まった表情も動作もない。

心情描写のものにはそこに登場人物すらいない。

 

だけど僕がそれを聴くと、

頭の中では誰かが動いていて、誰かが泣いていて、誰かが笑っているんです。誰かと抱きしめあったり、時には憎しみあったりしています。

 

動画にはある"形"や"情景"を、僕自身が補完しながら聴いてるんです。

そこが、僕が音楽を好きな理由の大きな一つだな。って思うんです。

 

 

音楽は、その中でひろがっている物語の主体が、聴いている人寄りになる気がするんです。

 

少なくとも、僕はそうやって音楽を聴いていて、

歌詞の中に自分だったり、大切な人だったり、街で見た人だったり空想上の誰かだったりを当てはめて、

「自分なりのその曲」

を作って聴いています。

 

だからなのかわからないけれど、

動画を見ている時と比べると音楽を聴いている時の方がいろんなことを考えられる。

 

僕も動画コンテンツ大好きなので、例えば移動中とかはずーっと何か動画を見ています。

だけどそんな生活を続けていると、

なんだかもう少し幼かったあの頃より、自分自身のことに想いを巡らせたり、大切な誰かを想ったりする機会が減ってきている気がしてて、

 

だからたまには音楽を聴いて、

そこで浮かんできた些細な、でもきっとそれはそれでとても大切な、「物想い」の時間を作りたいなって、

 

ふと、そんなことを思った金曜日でした。

 

 

明日は髭を剃ろうかな。

 

 

 

天邪鬼

 

大丈夫って言葉のお話です。

 

 

 

大丈夫はお利口さんです。

いつだって何かを断る時には、

この子が役に立ってくれる。

 

「遊びに行く?」

「大丈夫。」

 

「これ、あげるよ。」

「大丈夫。」

 

「手伝ってあげようか?」

「大丈夫。」

 

「助けは必要かい?」

「大丈夫。」

 

いつでもそばに置いておいて

しっかり逃げずにしておけば

 

いつでも紐をつけといて

どこか行かない様にしておけば

 

余計な心配も

余計な干渉も

余計なお節介だって防いでくれる。

 

大丈夫はお利口さん。

 

 

 

大丈夫は気まぐれ屋さんです。

自分の中にいるときは

勝手に出てきて悪さして

苦しくなって

寂しくなって

悲しくなって

泣けてくるのに、

 

誰かのとこからやってくると

あっためてくれて

ほどいてくれて

泣かせてくる。

 

あいつは泣かせにくるけれど

いっつも悪いやつではなくて

たまにとんでもない安息を

とんでもない恵みを

とんでもない幸せをくれたりするから

本当に気まぐれ屋さん。

 

 

大丈夫は自分で使うと

これまた少々気難しくて

なかなか良い子にはしてくれないけど

 

人にはとっても優しくて

救うことすらできるんです。

 

だからぼくの大丈夫は

自分のためなんかじゃなく

周りの大切な人のために使うんだ

それで1人でも救えたら、

誰かを泣かせられたなら、

それがぼくの大丈夫だから。

 

大丈夫はあげるもので

大丈夫はもらうものだから。

 

最後に自己解決しちゃうまじの独り言

 

 

人って、本能的に自分と異なる性質を持つ人を求めるって言うじゃないですか。

 

恋人にしろ、友達にしろ、

多分合ってるんですよね。

 

友達っていろんな形でできるけど、

自分から、「この人と仲良くなってみたい」って思う人は往々にして大人しめのクールな人だったりします。ぼくの場合。

 

それが好きな人になった場合が、ちょっとわからなくて

 

ぼくのタイプの人は、ほんわかしてるけど、何かに熱を持っていて、熱いときは熱くなれる人なんです多分。と、思ってるんです。

 

自分が割とせかせかしてたり、表には出さずとも、感情の起伏が激しかったりしてるので

ほんわかのんびりした人がすきなんです。

これは自分と逆だからわかるじゃないですか

 

でも、何かに熱を持ってる人。

ここが複雑で、

自分が好きになる人、「何に対してもなんでもいい」って人が割と多くて。これは自分と逆なんです。

でもぼく、「なんでもいい」人苦手なんです。

 

苦手までいかないかな。あった方がいいなくらいかもだけど、でも多分あった方がいいんです。

 

かといって、実はその人の熱に感化されることは少ないんです。

だから勝手に何か持ってて欲しい。

でも別にそこには干渉もしないししてこないで。

と、なんともまぁ勝手な態度なんですけど、

 

結局なんだっけ?笑

 

多分付き合ってて

自分はコミュニティが多くて、相手が少ないと、理解もされにくいし時間も合わない、なんて経験を何度かしたから、こんな考え持つようになったんだろうな。

 

でも結局は

その熱に感化されることも少ないんだから、

何もない人でもいいんだな。

解決しました。

 

どうもありがとうございました。

 

(え、おわるの?置いてけぼりだよ。。)

 

生きててよかったのかな

 

僕の好きなバンド、RADWIMPSさんの楽曲で

七ノ歌

って曲があるんですね。

 

5枚めのアルバムに収録されてる曲なんですけど、すっごい可愛いラブソングなんです。

 

なんて読むと思いますかこのタイトル。

「なのか」です。

へへ。

 

 

この曲は1番では

僕なんて普通の人だけど

これといって取り柄もないけれど

でもあなたが僕を好きっていってくれるから、

 

お父さん、お母さん、

こんな僕に育ててくれてありがとう。

 

って歌ってて

 

2番では

僕は全然ダメダメで

あなたなんかといるなんて

そんな、とんでもないです。

恐れ多いです。

 

こんなんだから嫌なことも

上手くいかないことも沢山あるし

 

でも何が起きたって

そんなもの大したことじゃないのよ。

 

だってあなたが隣にいるんだもの。

これ以上の幸せはないのよ。

 

あなたが居てくれて、

僕はどんなにラッキーなんだろう。

 

っていってます。

 

この曲の僕は、

自分に自信の無い、いや、無いってほど無くも無いけど、いや別に、自信があるってわけじゃ無いけど、いや。。

みたいな人なんですけど、

こういう人いっぱいいませんか?

僕自身もこんな感じです。

 

我ながら悪くは無いと思いながらも

かと言って自信があるわけじゃなくて、

でもけなされたら反論するし!

みたいな。笑

 

でもこんな人(僕含めて)って、

自分のこと、信じきれないんです。

信じてないわけじゃないけど、

自分が縋れるほどの自信はないんです。

 

だから時に落ち込むし弱くなるし、

どうしようもなく泣きたくなる時だってあるんです。

 

そんなときにこの曲を聴いて、

 

僕が僕を信じられないなら、僕じゃなくて

隣にいるあなたを信じればいいんだ。

 

僕の尊敬する親愛なる

大好きなあなたが

僕の隣を選んで居てくれるのなら、

僕ってまぁまぁ捨てたもんじゃないのかな

って思えたりするんです。

 

 

そんな事を、この曲聴いて思うんです。

 

 

いわば宗教の形に似てるのかなとも思います。

神に罪を償い、神のご加護を求めます。

自分が自分で信じられないから、

自分以外に信じさせてくれるものを持とうとするんです。

 

無宗教の人は多分、簡単に、精神的な天涯孤独になれちゃうんです。

だから日本はこんなに自殺が多いのかなとも思います。(余談です。すみません。)

 

でも神がいなくても

自分の大好きな人が自分を好きでいてくれるなら、それが恋人でも友達でも、

自分って自分が思ってる以上に捨てたもんじゃなくないですか?

 

そんな事まで考えてこの曲聴いてる人

どれくらいいるんだろ。

 

だから皆さん、

寂しくなったら辛くなったら、

顔上げて周り見てみてください。

 

そして生きてください。

 

 

何が書きたかったんだろ。

まぁいいや独り言だし。

文才磨こ。

 

 

 

いろんな「好き」

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

かけうどんと申します。

 

何か表現してみたくて、自慰行為的につらつらやっていきます。エゴです。

 

ただ、反応頂けるとやっぱり嬉しいので、

何かの間違いでここにたどり着いて、

間違えて読んじゃったよおいい!

時間返せよおお!って方は、

コメント欄にその旨をお記し下さい。

脈絡のない内容で返信させていただきます。

 

以上、せいろそばでした。

 

 

さて、思ったこと書きます。

言葉とは面白いもので、一つの事柄を表すのにたくさんの言い回しが使えます。

好きという気持ちを伝える時には、それこそ多種多様な言葉が使われますよね。
月が綺麗ですね。とか。

(純文学って調べると色々出てきます。多分。)

 

何かを好きになって、それに対する好きって気持ちを表現する時には、ありきたりな言葉じゃこの気持ちは表しきれない!って思う時ありませんか?

ありますよね。わかります。僕もです。

 

そんな時に素敵な言い回しができる人になりたいなって思うんです。

 

 

 


「君は僕の心臓」

 

 

これは僕の好きなRADWIMPSというバンドの

心臓って曲の歌詞に出てくる言い回しです。

 

これなんてもう、すんごい。

 

無くなったらおしまいです。

 

しかもこの言葉は

あったら生きる、なかったら死ぬ。

なんてそんな単純なことじゃなくて、

 

 

心臓は無くてもだめだし、

あっても元気じゃなきゃダメなんだよ。

調子悪ければ僕も調子悪いんだよ。

さらには君(心臓)が、なんかダリィな。。てなったら、僕(体)の方はもう一大事なんだよ。

 

って意味もあって、

 

だからこの言葉は、

君は元気でいてねって意味も含まれてるんです。多分。

 

 

心臓を広義に生命維持装置として捉えると、

体から離れた外部のものが僕の生命を繋いでくれてるパターンもありますよね。つまり、

 

君がどこにいても、そばにいても遠くにいても、中じゃなくて外に行っちゃってても。

 

君が元気でいてくれたら僕は生きられるんです。

 

君が元気じゃなきゃ生きられないけど、

元気でさえいれば生きられるんです。

 

 

って意味なんです。多分。

 

 

 

ああ支離滅裂になってきた。

 

 

とにかく自虐的な、諦めてるような、

でも信じているような、なんかそんな切ない言葉なんです。

 

 

何が言いたいかって、

たった6文字から

こんなにたくさんのことを人に思わせられる言葉の素晴らしさ。

 

 

がすごいなぁって。

 

 

 

こんな言葉を使いながら、

そんな好きって気持ちを持てたら幸せだよなぁ〜。

 

 

 

 

 

 

あー、お腹すいた。